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坊主頭

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和尚修行中の身の上、せめて頭だけでもそれらしくしようと自分で風呂の中で剃ったのです。理容院で綺麗に剃っても10日間位で気になる長さになってしまうのです。このままでは月に三度ぐらい床屋さんに行かなければならず、年金生活の身の上には重い負担になるのです。今回は三日前に床屋さんに行った後のまだ長く伸びていない状態で練習の為行いました。プロの手にかかれば蒸しタオルで頭を何度も蒸しその後頭部を前後左右から何度も剃るのですが自分で剃る場合は右手オンリーで剃るので思うように剃れません。その上自分の場合は二階の階段から転落し奇跡的に大きな怪我はしなかったものの、その影響か左の肩がいまだ通常出なく通院している状態なのです。そして今回和尚が自分のことは自分で!と決意させた人物がいたのです。
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この素晴らしいバイクに乗って蘭越町から来島したI さんが綺麗なスキンヘッドだったのです。憧れだったバイクを手に入れ初のツーリングが奥尻での一泊二日の野営の旅だったのです。速度計を見た和尚はMAX360キロにビックリ!素人がこんなスピードで走ったら和尚が読経しなければならない事態になることは明白です。I さんはスピード派ではなくツーリングでの野営を楽しむのが目的との事でその心配はなさそうです。バイクにもドライブレコーダーの代用になるカメラを取り付け暇になったら編集して今回の奥尻ツーリングを投稿する予定だそうです。現在ニセコ、倶知安地区はバブルの様相を呈していて仕事はいくらでもあり、人材不足が深刻で、不動産が活況を呈しているそうです。まるで島が復興景気に沸いていた20年前みたいですが否それ以上の持続する景気でしょう。島の場合も頂いた義援金の金額の大きさからしてももっと将来を見据えた有効な使い方をしていたら?と今になっては悔やまれます。
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そして和尚がI さんの教えで準備したのがこちらです。シェービングフオームなどはボディソープで代用できるそうで、またメンズクリームもハンドクリームでも代用できるそうですが和尚の場合は最初が肝心と準備したのです。和尚はまだ見習いの身ゆえ形から入るほうなのかもしれません。そして五枚刃のカミソリなので肌を切る心配はなく剃った後は手で撫で回すようにすると剃り残しの部分が分かるそうで、そしたらその残った部分を剃ればよいのだそうです。そして和尚初めての自分でのスキンヘッドに挑戦した結果がこの頭だったのです。綺麗に剃れているみたいですが手で撫で回してみると綺麗にそれた部分と剃り残しの部分がはっきり分かります。そしてその残った部分の髪がたとえば丸首シャツなどを着るとき首袖に引っかかるのです。その」為剃った後は必ずクリームなどを頭に塗らなければならないのです。そして親父憧れだったスキンヘッドにしたのですが以外と、否想像していた以上に手間がかかり坊主頭は大変だ!ということを認識したのです。そうしてスキンヘッドは坊さんのように温厚に見えるという意見と反社会的という社会の見方が両極端ですが自称キナンポ教教祖の和尚の場合は世間の目にはどちらに映るのでしょうか?
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令和はブルーだった?

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平成最後の30日親父念願だったスキンヘッドを断行したのです。いままではお客様相手の仕事という事もあり。悪い印象を与えるのではないか?という心配もありまた社会的慣行もあり自粛していたのですが、無職になり残り少ない人生自由に生きようと決め、決行したのです。親父荒れる男子高校生の頃規定より髪が長いという理由で髪を五厘刈りにされた事があったのですが、当時有名だった教頭先生に良い頭の形をしているんじゃないか!と誉められた事があったのです。それが心の片隅にありスキンヘッドにあこがれていた側面もあったのです。そして床屋さんで頭をバリカンで刈り上げ蒸しタオルで頭を何度も蒸しカミソリで刷りますが何度もシェービングフォームを付け剃ります。そしてまた蒸しタオルを頭に撒きその繰り返しで完成したのがこの頭です。青アオとして初々しさが現れています。そして昨日亡き親父の月命日でちょうど住職さんが来たので親父この頭を見せ和尚さんお弟子にしてください、一緒にお参りに歩き自分はお布施専門に回収しますからと申し出た所一言で却下されてしまいました(笑い)。最高のバイトにありつけるか?と思ったのですが、税金も課税されないしベストな内職だと思ったのですが。そして出家し損ねた親父の法名は芳明と書いてホーメイと読みこれからはホーメイ和尚と呼んでもらおうと目論んでいたのです。が弟子入りに失敗した以上は自分で宗教を立ち上げる以外にはなく、自分の経験から一度死んでも生き還るキナンポ教を創設し親父が教祖になるという方法しかありません。二度の脳梗塞からも奇跡の生還をした親父が教祖なら後光がさしているので御利益はてき面に保障されているでしょう。改元に沸き立っている社会の中で自分勝手な妄想を抱いている親父の令和の印象は、冷たいLEDの光の中で昭和初期の悲しい歴史を思い起こした事でした。令は命令を連想し命令で昭和の暗い時代に戻されたらたまりません。令和の決定過程も徐々に明らかにされ最高権力者の意向が強く反映された過程が紙面を賑わせています。令和元年を礼賛の社会風潮の中親父のようなひねくれた者がいるほうが健全な社会でしょう。令和元年からホウメイ和尚と呼んでください。スキンヘッドにしたら楽かと思いきや想像以上に手入れが大変みたいでホウメイ和尚の残された時間も短いかもしれません。

専門店の実力

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一年ぶりに札幌へ出かけた親父は高校の同級生が経営しているめがね工房を約45年ぶりに訊ねました。当時の記憶はもう失せていますので琴似の発展に目を奪われ道を間違え、スマホの位置情報を頼りに向かいますがそれでもたどりつかず最後は電話をして向かえにきてもらいますがそれでも行き違いになり親父のほうが早くたどり着くという有様です。同じ札幌に住んでいる友人でも琴似に来るたびに琴似の発展に驚くそうです。すでに函館の本町界隈のにぎやかさをしのぎ琴似字体が函館市を大きく超えている感じです。今から55年ぐらい前は田舎町に過ぎず田舎町扱いしかされていなかったのですから札幌一極集中の力は絶大なものがあります。その頃親父が大人だったら土地を買占め大儲けしていたでしょう!(取らぬ狸のなんとか~~) 
そして友人が息を切らし帰ってきた頃親父は始めてお会いする奥様とゆっくりとコーヒータイムです。実は親父眼科医から処方された眼鏡をチェーン店で購入し使用していたのですがしっくりとしていなかったのです。それで一度プロの眼鏡士に見てもらおうと思っていたのです。
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彼のお店は丸眼鏡にかんしては全道一の品ぞろえを誇っていて彼自身も丸眼鏡を愛用しまた丸眼鏡が良く似合っているのです。丸眼鏡はゆがみも少なく良く見えるそうで親父にも勧めるのですが、親父丸眼鏡にしたら軟弱に見えそうでからかわれそうに思ってしまうのです。そしてコーヒータイムに始めてお会いした奥様からF君との馴れ染めをお聞きしF君とは正反対のF君の父親の姿をしりました。F君の父親は当時琴似でも有名なダンディでイタリア製のスーツを身にまとい装飾品も超一流で札幌でも有名だったそうです。そして三越の紳士服部にいた奥様を見染めぜひ家の息子に!という縁だったそうです。そして親の形見の時計が動かなくなったので修理にだすと国内では無理でスイスまで修理に出して修理代ん?十万円もかかったそうで、その話を聞き親父自分の腕時計を隠そうとしますが親父の時計?十個ぐらい買える金額で富める人とそうでない人のギャップを感じます。しかしそんなことは若かりし頃の友人には無関係です。そして親父が今回作ってもらった眼鏡がこちらです。
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フエリーが欠航し昨日届きました。ちょうど決算時期と重なり早速使用しますがさすが眼鏡屋を50年やっていると自信たっぷり言うだけありプロの仕上がりで完璧です。眼科医の処方箋とは違わないはずなのですが眼鏡をかけている事を忘れてしまうほどの感覚の仕上げです。同じ度数でも眼鏡の架ける位置、レンズの中心をどこに持ってくるかによっても見え方はかなり違うそうです。格安量販店なら素人が2,3分で終える作業に一時間以上もかけ念入りに調整したので完璧でした。今度の眼鏡は縁なしなので衝撃には弱いそうなので親父の顔面を叩いたりしないでください。顔に傷つくのは男の勲章でかまいませんが眼鏡が壊れると札幌まで行かないと直りませんので困ります。この眼鏡はブルーライトカットになっていますがハ××ルーペではありませんので女性の尻にしかれると壊れますのでその節は代わりに親父の顔面を使用して試してください(笑い)。

昨年の今頃

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28日の奥尻町国保病院の様子ですが昨年同様寒波に見舞われ大荒れでフエリーも欠航でまさしく孤島状態です。親父昨年25日夜l国保病院へ体調不良で行ったらしいのでですがその後の記憶が全くないのです。正確には24日ごろからの記憶が消えているのです。そして大体の記憶があるのは1月5日ごろからで窓の外の景色を見てなぜかしら函館山の麓にある函館の病院だと思い込んでいて、何故か外では広報奥尻が流れ看護師さんは顔見知りの人が多く頭が混乱状態で、奥尻島が函館に編入されたのではないか?と錯乱状態だったのです。途中呼吸が困難になり気管支挿入したりかなりの危険状態だったそうです。兄弟、孫まで集められたのですが悪天候のためフエリーや飛行機まで欠航し島に来るにも体大変だったのですが、親父も病院の先生は検査の結果島で治療するより函館の大きな総合病院へ出そうとしたそうなのですが悪天候のためそれも出来なかったのです。そのため凶暴な親父を眠らせ?治療することにしたらしいのです(家内の話)。このように島の医療は都会と違い常にハンディがあるのです。昨日なくなった同級生のU君はやはり親父と同じ脳疾患に見舞われましたが、やはり悪天候に阻まれ島外に出ることが出来ず症状が悪化し不自由な体になってしまい車椅子生活を長く続けていたのです。このように島の医療は常にハンデイを負い直るものも悪化してしまうのです。たとえば脳梗塞は今では4時間以内であれば直すことは可能と言われていますが昨日のような悪天候ならばフエリーも欠航しもちろんDRヘリも飛べないのです。親父以前25日が怖いと書きましたが兄弟からはもうすぐ25日です異常はありませんか?とメールがきましたし母親は昨年の25日は泣きながら仏壇の前で助けてくださいと祈っていたそうです。そんな巷の状態も知らず眠りの国にいた親父は不思議な体験をしたのです。今は亡き同級生のN君が現れまだ早いからお前は帰れと言われたたような気がしたのです。昏睡状態の中での夢かも知れないのですが親父今思えば死後の世界とは(人間が昏睡した状態、無の状態)ではないかと思うのです。そして何もすることのない親父は雪降る中リハビリを始めたのです。
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ノルデックウオーク用のストックとネックウオーマーですが親父がヨタヨタ氷の上を歩く姿をみた知り合いに声をかけられこれを用意したほうが良いよと勧められたのです。ストックは転倒防止のためネックウオーマーは寒さにより血圧が高くなるのを防止する為だそうです。こうしたやさしい地域の人たちに支えられ親父は生きているのです。そのため以前にもまして涙もろくなりニュースを見ても泣き、ドキュイメンタリ-を見ても泣き、泣き顔を家内に見せまいと下を向くと嗚咽の為声が出ないのです。最近では天皇陛下の誕生日の会見を聞いて泣いてしまいましたが、親父若い頃は天皇制に疑念を抱いていたのですが会見内容を聞いて疑念が消えそのお言葉に感激し泣いてしまいました。政治のリーダーはこの言葉をかみ締めて二度と戦争のない時代を作ってほしいものです。そしてその後は日本がIWCを脱退するという事を決めたことです。理不尽なIWCですが脱退という言葉を聞けば日本が国際連盟を脱退し戦争への道につき進んだことを思う出だし何故か疑問を感じるのです。このように親父は台所から国際情勢にまで何にでも興味を持ち些細なことにも感激し泣いてしまうのです。家内にいわせれば(泣きべっちょ)だそうで何故泣くのか分からないそうです。こうして昨年はクリスマス、お正月にもかかわらず治療を続けてくれた国保病院の泉里先生に命を助けられ、献身的に看護してくれた看護師さんたちに感謝です。今こうしてブログを書き無駄口をたたけるのも生きているからです。恐怖の25日をクリアし親父の2019の目標は YOU‘LL BE A PERSON! です。 すべての人に感謝しながら。

検査結果とキナンポ親父と指揮官

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6月初めに検査結果を聞きに函館にでかけました。多分親父がいままで受けた検査の中で一番高額で時間もかかる検査でしたがDrの都合もあり遅くなったと思うのですが不安で高まる胸中を押さえながら函館に急ぎましたが病院に着くと諦めの気持ちが強くなり案外冷静に聞く事が出来ました。親父最悪の事態の想定していたのですがDrの口からはとりあえず緊急にする事は必要なく三か月ごとに検査して経過を見る事になり一安心でした。そしてこの出かける日、親父にしては珍しく忙しく仕事を消化し15:55分のフエリーに急いで間に合わせたのですがここで親父痛恨のミスをしてしまいます。なんと携帯を忘れたのです。
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乗船してから携帯を忘れた親父は船内の公衆電話から家に連絡しようと売店へ行き公衆電話ありませんか?と尋ねたところカランセ奥尻にはないそうで親父客室に戻り隣の見知らぬお客様に携帯電話をかしてもらい家に電話するといくらならしても電話にでません。アブローラ奥尻には公衆電話室があったのですが今はほとんどが携帯なので公衆電話は必要がないのでしょう。こうしている間に家内が携帯を忘れている事に気が付きフエリーの支店に電話し携帯を持ってフエリーターミナルに向かったのだそうですがフエリー埠頭に着いた時はすでに船尾の舫いロープが外された状態だったそうです。しかし支店長はじめ船員の協力でちょっと後進し岸壁との距離が2m位いに接近した時船上からカギの付いた長い棒が差し出されそこへ白いビニール袋に入れた携帯を引っ掛け船上に取り込んだそうです。そうした経緯を知らない親父は今後の事を考え船室で悲感にくれていると近所知り合いの船員さんが高田さん忘れ物と言って携帯を持ってきてくれるではありませんか!事情が良く呑み込めていない親父はなぜと聞くと事情を説明してくれ感謝に耐えませんでした。乗客の皆さんに迷惑をかけたのではないかと心配しましたが出発が数分遅れたみたいですが凪が良かったせいかカランセ奥尻の余力か江差には定時に到着できました。親父年齢のわりにおっちょこチョイな所があり終末期を迎えた今でもおっチョコチョイな所は今もって改善されていないのです。
そして夜サッカーの試合を見て後半戦なぜかもやもやした物を感じていたのですが日数を経過し冷静に考えてみると指揮官の指揮が正しいのだと思うようになったのです。日本人はなぜか武士道精神や特攻のように逃げる事を嫌いますが指揮官は次の戦いを見据えて戦略を考えるのであり一時退却する決断をするのは前進させる事よりも勇気が必要だと思うようになったのです。明日早朝の試合の為にもうすぐ寝るつもりなのですが楽しみです。若い頃はこうした戦術は卑怯だと思っていたのですがようやくこの歳になり勝つ為の戦略の為の戦術が分るようになりました。太平洋戦争の約300万以上の犠牲者の約9割が最後の一年で亡くなりその大部分が戦ではなく餓死だという一部の本を読み戦わずして亡くなった軍人さんの無念さを考えても西野指揮官の決断の正しさが証明されているのではないかと思うのです。勢力を温存してもう一度戦えるのですから。頑張れNIPPON!

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